カテゴリー別商品情報 by RAKUTEN WEBSERVICE
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価格 : 1,980,000 (税込)
ショップ : 旧車、絶版車の朝日自動車販売

■メーカー名日産■車名シルビア■グレード1600 2シーター■年式昭和41年式■走行距離 推定走行不明■車検有効期限 ■ボディタイプ2ドアクーペ■色純正シャンパンゴールド■修復歴 ■整備記録簿 ■所有者履歴 ■ミッションフロア4速■排気量1600cc ガソリン■乗車定員2人■型式CSP311■装備 ■昭和41年の出来事◎ビートルズ来日◎青森県三沢市大火◎全日空ボーイング727型機羽田沖墜落◎ボーイング707型機富士山麓に墜落◎NHK「おはなはん」放送開始◎人口一億突破◎百円札廃止◎タバコのパール・みのり販売停止◎「ひのえうま」で出生数前年比25%減◎バラが咲いた◎君といつまでも◎柳ケ瀬ブルース◎夢は夜開く◎ウルトラ マン◎戦争と平和◎プレイボーイ創刊 ◎おそまつ君 ◎オバケのQ太郎body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}.red {font-size: 12px;color: #ff0000;font-weight:bold} 日産 シルビア 初代 1600cc 2シーター 「ダットサンクーペ1500」として出品された、その車は、 翌年昭和40年4月、ギリシャ神話に登場する、清楚な乙女の名から、 「森」を意味する【シルビア】として陽の目を見た。 ダットサン・フェアレディのシャーシに、国産初の4速フルシンクロのミッション、 1600ccOHVエンジン、SUツインキャブから発生するパワーは、 90馬力。最高速165km/h。 この数値は、ヨーロッパ水準のスポーツカーを上回るとされ、大いに注目される。 特にそのデザインから、海外での評価も高く、 最も美しいカーデザインの 1台にも選ばれた。 「宝石のカット」「クリスプカット」などと呼ばれるボディデザインは、 ドイツ人デザイナーのアルブレヒド・ゲルツの指導の下、 日産のデザイン陣で仕上げられたもの。 継ぎ目の無いフェンダーなど、 当時日産系列の殿岡製作所の技術陣による、叩き出しによる、セミハンドメイド。 まさに職人技! (現在 殿岡製作所は、メリーゴーランドなどを造るトノックスと社名変更している)そのため、同じ外装パーツが微妙に合わず、後の板金職人が苦労したという逸話もある。本体価格120万円は、 サニーが3台、ブルーバードが2台買えそうなほど高価! セドリックでもDXだと97万円と 100万円を切る時代。 当時の月給が2万円とすると・・・ 何年分の年収? 今現在に換算すると、 一体いくらなのだろう? おそらくゆうに 1000万円以上だろう。 現行「日産GTR」でも及ばない 本体価格!初代シルビアは、高価な価格面、ハンドメイドによる生産体制などから、昭和43年6月までの3年2ヶ月という短命で、合計たったの554台を世に送り出し、2代目シルビアの登場まで、7年間 絶版となる。商業的に失敗したというより、初代シルビアは、当時 日産の「イメージリーダー」だったのかも知れない。シルビアは、一旦絶版した後、脈々と7代目まで37年間に渡って、車系を辿ったが・・・平成14年、惜しまれつつ2度目の絶版となる。歴史を刻んだライトウェイトスポーツが、また1台消えた。 さて、、現車を見てみよう。生産台数554台のうちの、239番目のシルビア。過去 リメイクされているものの、純正のシャンパンゴールドを纏った至宝の1台。シートは、フェアレディZ用に換装されているも、その他はほぼオリジナル。内装は、当店に入庫してから、2ヶ月かけて純白に張り替えた。残念ながらホイールキャップは欠品。維持しながら、気長に探すとしよう。 機関は、少し手を入れただけで、元気に蘇った。 細部は、納車までの宿題、 納期は現状でなければ、最低2ヶ月は欲しい。今こうして目の前にすると、とても小さな2シータークーペだ。「宝石のカット」とはピタリとくるコピー。とても42年前の車とは思えないデザイン。それに加えてボディカラーの「シャンパンゴールド」。夕日を浴びて金色が輝く様を見るにつけ、時を忘れ、しばしウットリとしてしまう。 街で見かけることは、あり得ない。 それもそのはず、、 ライバルメーカーの「トヨタ博物館」 の3階に、ひっそりと鎮座しているくらいだ。 一体何台が現存しているのだろうか? 当店では、滅多に無い「200万円」超えの本体価格。 その価値を見定めるのは・・・ 貴方次第です。
価格 : 500,000 (税込)
ショップ : 旧車、絶版車の朝日自動車販売

■メーカー名プリンス■車名グロリア■グレード2000SDX■年式昭和42年式■走行距離 60400キロ 走行不明■車検有効期限なし■ボディタイプ4ドアセダン ベンチシート■色クリーム替■修復歴なし■整備記録簿一部あり■所有者履歴前オーナー様19年間所有■ミッションコラム4速■排気量2000cc ガソリン■乗車定員車検証上5人乗■型式PA30■装備エアコン 修理要■昭和42年の出来事◎羽田空港ビルで時限爆弾爆発◎高見山外人初の関取◎美濃部亮吉東京都知事◎藤猛ボクシング世界チャンピオン◎ミニの女王ツィッギー来日◎吉田茂死去、戦後初の国葬◎都電9系統廃止◎中央高速道路(調布−八王子)開通◎新宿駅周辺にフーテン族◎3C時代(カー、クーラー、カラーテレビ)◎ミリタリールック流行◎ブルーシャトー◎小指の思いで◎困っちゃうな◎世界は二人のために◎まぼろしの邪馬台国 NHKドラマ『トップセールス』出演車! body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}今はなき プリンス自動車の想い、、、 皇室車である「プリンス・ロイヤル」と共に、 この30型グロリアを市販し、 公道を走らせるはずだった・・・ この想いは、 日産自動車との吸収合併によって、 露と消えてしまった。 しかし昭和42年 日産ブランドから念願の 3代目30型グロリアは登場した。 デザインは「プリンス・ロイヤル」とほぼ同一で、 「ロイヤルライン」と呼ばれる。 合併直後に発表されたため、この30型にはプリンスの血と日産の血が流れる、混血車となった。 現車である前期型PA系では、エンジンはプリンス時代のG7。足回りは日産のリジットリーフ。後期HA系では、エンジンも日産のL型が搭載された。 PA系のボンネットマスコットには、プリンスの「P」が、、 (のちに「N」になってしまうのだが・・) プリンスの開発陣は何を想ったか、、 まさに「悲劇の貴公子」と呼ばれる由縁がここにある。その後、30系グロリアは、ヘッドライトのデザインから、「タテグロ」とのニックネームで、老若 オリジナル派カスタム派問わず、絶大な人気を誇ることになる。 それは現在でも、当店への問い合わせ数を見ていても一目瞭然だ。確かに、ロイヤルラインには今には無い気品と、デザイン性を兼ね備えている。 (グロリアの薀蓄については ↓を参照) http://item.rakuten.co.jp/sepia/ 10007314/その後4代目からのグロリアは、セドリックとの兄弟車となり、プリンス色は消え去ってしまう。 平成15年、後継車「フーガ」にバトンを渡し、45年というほぼ半世紀にもわたる現役に幕を引き、絶版となる。 だが・・・ その栄光に彩られた車名復活を 熱望する声は根強く残っている。 さて、現車を見てみよう。平成元年から今日の今日までの19年間、当店のお客様が所有していた前期PA30。外装は以前、当店にてオールペイント。G7エンジンは、経年を感じさせず、良好な状態を保っている。内装は張り替えてあり、劣化が見られるため、シートカバーか張替えにて対応したいところ。少しカスタムしたタテグロも、バチっとはまってしまうところが、タテグロたる由縁か。 思い起こせば、、、前オーナーY氏との出会い・・・ もう10年前になるだろうか。 某ディーラーから、 「車検に預かった車が、もう半年近く経過してしまい、 お客様も痺れを切らせている。何とか助けて欲しい。」 とのSOSからスタートした。その後、車検・点検・オールペイント等、 ずいぶんとお付き合いいただいた。 もうすぐ家族が増えることを契機に、 タテグロを手放すことを決意。 決意はしたものの、 「免許取って、初めての車でしたからね・・」 というY氏の横顔は、やはり寂しげに思えた。 大消費時代の今日。 当たり前のように、自動車も代替するが、 こうして愛着を胸にしまいながら、 相棒を手放すオーナーさんの気持ちを、 当店としては、大切にしたいと思う。 それこそが、旧車の醍醐味と思えるから。
価格 : 600,000 (税込)
ショップ : 旧車、絶版車の朝日自動車販売

■メーカー名いすゞ■車名ベレット■グレード1300DX■年式昭和44年式■走行距離12400キロ 走行不明?■車検有効期限なし■ボディタイプ希少!2ドアセダン■色純正ライトブルー■修復歴 ■整備記録簿いただけなかったのが残念!■所有者履歴 ■ミッションフロア4速■排気量1300cc ガソリン■乗車定員5人乗名■型式PR10■装備 ■昭和44年の出来事◎東大「安田講堂」陥落◎レーサー福沢幸雄事故死◎東名高速道路全線開通◎原子力船「むつ」進水◎新宿フォークソング大集会に機動隊◎市川雷蔵死去◎アポロ1号月面着陸◎正力松太郎死去◎食品添加物チクロ全面禁止◎獅子文六死去◎大学紛争激化◎パンタロン流行◎漫画ブーム、サザエさん、巨人の星、あしたのジョーなど・・◎反戦フォーク流行◎総括◎黒猫のタンゴ◎ブルーライト・ヨコハマ◎男はつらいよbody,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}国内小型乗用車初の4輪独立懸架。 国内小型乗用車初のディスクブレーキ。 国内乗用車初の「GT」グレード設定。 これらの偉業を具現化してみせた車こそ 今回ご紹介する、いすず・ベレットだ。 ベレットは、昭和38年6月に前年に登場した 「ベレル」の小型版として登場した。 「いすず」の社名は、 伊勢神宮を流れる五十鈴川に由来し、 鈴(BELL)と50を意味する(L)から、 ベレル(BELLEL)の車名が来ている。 さらにその造語が、ベレット(BELLET)だ。 元々トラック、バスメーカーであった「いすず」が、乗用車分野進出のために、英国・ルーツ自動車と提携し、昭和28年から昭和39年までの11年間、「ヒルマン・ミンクス」をノックダウン生産。技術の蓄積を図った。 その「いすず」が純然たる国産車として開発・生産した第一号が「ベレル」であり、時間的にかぶるが、ヒルマン・ミンクスの後継車として開発されたのが、ベレットというわけだ。 ベレットは、当初ファミリーカーとして発売され、セダンのみの設定であったが、のちに昭和の名車として語り継がれる「GT」「GTR」をラインナップに登場させている。また排気量やデザインのバリエーションも多岐に渡り、ヘッドライト形状も丸目2灯、4灯、現車の異形角目など。 テールレンズも多種あり、初期型は、その形状から「おにぎり」と呼ばれている。車体形状も4ドアセダンから始まり、2ドアセダン、ファストバック、 クーペ、ボンネットトラックの「ワスプ」、商用バンタイプの「エクスプレス」と、これまた幅広いバリエーションを誇る。 さて、現車を見てみよう。 これぞグリコのおまけ!(古) Wの希少度! レア度満点の角目、1300DXに加えて、 なんと2ドアのセダンタイプ。 これは珍しい!というより 当店でも初の入庫となる。 スペック上、走行不明にしたが、前オーナーさんの証言と、エンジンの快調さ、そして・・・シートの状態など見ていく限りでは、前オーナーさんの「実走行ですよ!」 も頷ける。残念なことに、右フェンダーミラーが割れているため、納車時には、新品のベレGミラーに付け替える予定。 ベレットは、「ベレG」と言われるように、GTやGTRが脚光を浴びるが、現車のような、陰のグレードは、逆に希少性に富み、味がある 「革命児」として受け入れられた「ベレット」。 登場以来11年間フルモデルチェンジをせずに、バリエーションを増やし続けたが、他メーカーの新型車が幅を効かせ始め、販売実績も下降の一途を辿り、昭和48年、「ジェミニ」を後継に、ベレット11年の歴史を閉じ、絶版となった。遠く昭和40年代に絶版になったのに、 今だ多くの愛好家を擁する「ベレット」。 旧車の中でも名車の呼び声高く。車名復活が望まれる1台だ。
価格 : 500,000 (税込)
ショップ : 旧車、絶版車の朝日自動車販売

メーカー名日産車種名プレジデント グレード名4400ソブリンVIP年式昭和60年式 走行距離50800キロ車検有効期限なし ボディタイプ4ドアセダン色ブラック 修復歴なし整備記録簿あり 引渡し条件現状・登録OK所有者履歴 ミッションコラムオートマ型式E−H252排気量4400cc装備1フル装備装備2クルーズコントロール乗車定員5名装備3 備考 1colle旧車セールスポイント修復なしの、きれいな黒!エリア「関東埼玉」 【「優越」という心理】プレジデントの薀蓄については、いままでも再三取り上げているので、是非コチラを参照されたい ↓http://item.rakuten.co.jp/sepia/10007304/ いつも言うことなのだが、、、プレジデントを所有するということ。例えるなら・・・(自身の庶民感覚で言わせていただくと)普段口にできない、キャビアやらフォアグラやらが、近所のスーパーに行ったら、なんと「酒のつまみにいかが?」価格で売っていた。いや そうじゃないバーで、たまたま隣り合わせに座っていた女性ととっても良い雰囲気になり、よく顔を見たら、藤原紀●だった。いや んなバカな冗談で立候補したら、たまたま総理大臣になっちゃった。いや これも違う都会の超高級レストランのディナーが毎日宅配便で送られてくる。う〜ん もうやめよう今やありふれてしまった高級車達を横目に、プレジデントで街を流す優越感。これって、オーナーになった方にしかわからない。取立て先進性の機関でもなく、スピードが出るわけでもなく、燃費が良いわけでも、室内空間が広いわけでも、先端技術の装備がついてるわけでもない。なのに なんだろう この優越感は?きっと、すれ違わない高級車なんだろうな。そして、前後に配される三角窓なんて、ノスタルジィの極みなんだと思う。静寂なエンジン音。近寄ってこない後続車。なんか、言葉にするだけ無駄な気がしてきた。お金持ちが乗るのも、もちろんわかる。だけど・・店長的に、、、ごくごく一般の貴方に乗ってもらいたい、といつも思う。だって、きっと貴方の自動車観を変える事になる車だからだ。もちろん、それなりの維持費を支払わねばいけないし、軽自動車の3分の1以下の燃費を考えると、ため息も出てくるのもわかる。だけど、考えようによったら、軽自動車のたった3分の1の燃費で、これだけの優越感を味わえるのなら、お得なのかも知れないのだ。当店で過去プレジデントを購入された、お客様が、その後整備などで入庫した際、必ず言う言葉、、「いや〜燃費悪いですよね〜」と言いながらも、笑顔を見せるのは、一体何故なんだろう!?それでもって、手放さないのは、何故なのだろう!?それこそが、きっとプレジデントオーナーの心持なんじゃないかと思うのだ。所有する満足感が、、少なくとも、街ですれ違う高級車達よりきっと上を行ってると思うのだ。いや そうだ。そうに違い無い。
価格 : 480,000 (税込)
ショップ : 旧車、絶版車の朝日自動車販売

■メーカー名三菱■車名ギャラン・Λ■グレード2000GSRターボ■年式昭和57年式■走行距離83500キロ■車検有効期限 ■ボディタイプ2ドアクーペ■色純正ホワイト■修復歴なし■整備記録簿新車時よりの車検全記録簿有。■所有者履歴ワンオーナー■ミッションフロア5速■排気量2000cc ガソリン■乗車定員5人乗名■型式E−A164A■装備エアコン・パワステ・パワーウィンドゥ■昭昭和57年の出来事◎ホテルニュージャパン火災◎500円硬貨発行◎日航機逆噴射事件◎「笑っていいとも」スタート◎映画「ET」◎マイケル・ジャクソン「スリラー」◎ノーパン喫茶◎フォークランド紛争勃発◎初の日本語ワープロ誕生◎「オレたちひょうきん族」◎三越事件、竹久みち逮捕◎三波伸介没◎カード式公衆電話◎西武ライオンズ初の日本一 ◎CDプレーヤー発売 ◎東北新幹線・上越新幹線開通 ◎中曽根内閣発足 body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}.g10 {font-size: 10px;color: #7D7D7D;}昭和51年11月 三菱より直線が印象的なクーペが発売。 ギャランGTOやギャランHTの後継車として注目が集まる。 その名は「ギャランΛ(ラムダ)エテルナ」。 どこから見ても直線基調のデザイン。 角型4灯のヘッドライトなど、 当時としては斬新感に溢れていた。 海外では、サッポロ冬季オリンピックにちなみ、 「三菱・サッポロ」の車名。 (ちょっと聞き慣れずおかしいネーミングだが・・) 昭和50年代に発売され、 昭和50年代に消えていった代表的な絶版車。 旧山王台公園 117クーペやプレリュードなどが、世間的にはライバル視されているが、、旧車屋@親父的にはあまりそうした印象はなく、当時の三菱って、直線でゴッついイメージがあるなぁ。 何かの刑事ドラマで、(元ピンクレディのMeちゃん主役)カースタントする三菱車達に惚れ惚れしたものだ。 一般的に日産車のように印象に残らなかったけど・・もう少し後の時代かな?スタリオンが出てたから。実際、昭和51年から昭和58年の7年間しか、生産しなかったけど、うちに来る問合わせで意外と多いのは、Λだ。 それもそのはず、、 今、探してもなかなか市場に出回っていないのが現状。古ければ少なくて→新しければ多いという公式にあてはまらないのが、旧車の世界。 このΛも、最近では滅多に拝むことが出来なくなった車種だ。 「エテルナ」がついたり、離れたり、当時は、車種増殖の真っ只中。 さて現車を見てみよう。現車2代目では、ターボ車が登場(現車も)。もちろんドッカンターボなのだが・・「GSR」などと言う、いかにもスポーツカー然としたグレードの割りに、今乗ってみると、いたってシンプル。エアコン・パワステ・パワーウィンドゥという三種の神器的必要最低限の装備は、旧車初心者にとって嬉しい限り。ワンオーナーで、新車時からの全記録簿も残る、希少な逸品だ。 前オーナーさんのタッチペイント跡が、あちこちに残るが、これも25年間の勲章だ。 また、おそらくボディカバーで保管されていたのであろう・・角角の塗装が薄れているところも、また味と言うべき。 ちょうどこの頃免許を取得した方、もう街で見ることも無いΛは、実物を目の当たりにすると、懐かしさが込み上げてくる。 デザイン的にも、今となっては一周回って斬新に見えてくるから不思議。 絶版となって、もう24年。されど24年。 後継のスタリオンも、平成2年に絶版。 その後継は、「GTO」。 まるで輪廻転生。 三菱が、三菱らしかった時代の忘れ物だ。
価格 : 600,000 (税込)
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■メーカー名トヨタ(トヨペット)■車名コロナ■グレード1500DX■年式昭和39年式■走行距離66000キロ走行不明■車検有効期限なし■ボディタイプ4ドアセダン■色ホワイト替■修復歴あり■整備記録簿 ■所有者履歴 ■ミッションコラム3速■排気量1500cc ガソリン■乗車定員5人乗名■型式RT20■装備 ■昭和39年の出来事◎東海道新幹開通◎マッカーサー元帥没◎新潟地震◎地下鉄日比谷線全通◎佐田啓二自動車事故で死亡◎王貞治シーズン53本本塁打◎第18回オリンピック東京で開催◎佐藤栄作内閣誕生◎公明党発足◎ウルトラC◎シェー◎平凡パンチ創刊body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}トヨタの純血「クラウン」の血統を そのまま小型車に注入した車、 トヨペット・コロナは昭和32年に登場。 初代コロナ・・・ 丸みを帯びたデザインから、 愛称は「だるまコロナ」。 今となっては、ごく一部の自動車博物館か、 マニアの方が所有しているほか、 市場には全く出てこない初代。 しかし当時は、ダットサンと比較されるも 耐久性で劣っていると噂され、 販売は常に後塵を拝した。 小型車市場で、なんとしてもダットサンとの 差を縮めたいコロナは、現車である2代目へと バトンタッチ。 デザインも全くと言っていいほど初代と異なるが、「新しくないのは、車輪が4つあることだけ」というキャッチコピーが物語るように、機能面でも格段の進歩を見せ、さらに問題の耐久性では「トーチャーキャンペーン」と題して、崖から転げ落ちるCMを流すなど、耐久性を強くアピールし、徐々にダッサンとの差を縮めた。 しかしながら 現車のCMは・・・やっとカラーテレビが出てきた時代に合わせて、カラー化を意識し、多くの色合いを使用したらしいが、一体当時どれだけの人がカラーCMを見たのだろうか? この頃から、ダットサン・ブルーバードとトヨペット・コロナの販売競争が激化。頭文字を取って、【BC戦争】などと称される。次代のRT40で初めてダッサン・ブルーバードに追いつき、そして追い越した土壌が、この2代目からプンプンしてくる。まだまだ昭和30年代、、白黒テレビもあるかないかの時代である。そうした意味で、自動車業界って、日本の最先端だったのだと再認識するわけです。ただし、もちろんCG技術なんてなかったから、トーチャー(拷問)する場面などは、全部カースタントで行われていて、まさに撮影も命がけであったろう。だって、シートベルトもエアバッグも無かったのだから・・ その後脈々とBCストーリーは続くわけだが・・ 平成13年、プレミオを後継として、45年にも及ぶコロナの歴史に幕を閉じることとなる。 さて現車を見てみよう大きく開いたような楕円形のフロントグリル。観音クラウンを彷彿させるテールフィンなど、今こうして見るデザインは、どことなくヨーロピアンで美しい。エンジンはごく普通に回るが、排気漏れがあるため、この部分は売約時の宿題だ。ブレーキは例の「カックンブレーキ」。いかに「カックン」を最小限にするかが、旧車屋としての腕の見せどころ。 シートに摺り、切れがある。 張り替えるのは簡単だけれど、当時モノのシートなので、そのままカバーをかけて乗ってよろしいかと・・。 当店でも、滅多に入庫しない20系コロナ。 一度現車を見ておくのも一考ですぞ。撮影時、とある老夫婦と出会う。 「懐かしいね〜〜。 初めて買った車なんだよ〜」「中古車だったけど、 あちこち行ったもんだなぁ」「ギアが抜けなくなってね、 ボンネット開けて外すんだ」 さすが元コロナオーナー。的を得ている。 まさに青春時代の愛車・・・ニコニコ寄り添っていた奥様が、印象的だった。
価格 : 380,000 (税込)
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■メーカー名マツダ■車名ルーチェ■グレード13BロータリーLTD■年式昭和55年式■走行距離135000キロ■車検有効期限 ■ボディタイプ4ドアピラードハードトップ■色純正ゴールドメタリック■修復歴なし■整備記録簿あり■所有者履歴 ■ミッションフロアオートマ■排気量13Bロータリー ガソリン■乗車定員5人■型式E−LA43S■装備エアコン(修理要す)、パワステ ■昭和55年の出来事 ◎イエスの方舟事件 ◎アフガニスタン侵攻 ◎池中玄太80キロ ◎ダンシングオールナイト ◎いまのキミはピカピカに光って ◎山口百恵が引退 ◎NHK「シルクロード」 ◎任天堂ゲームウオッチ発売 ◎具志堅用高タイトル1防衛世界新記録 ◎モスクワオリンピック開催 ◎静岡駅前地下街ガス爆発 ◎林家三平没 ◎巨人の王貞治引退 ◎ジョンレノン、ニューヨークで射殺 body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}.red {font-size: 12px;color: #ff0000;font-weight:bold} マツダ ルーチェ 4ドアピラードHT 13Bロータリー搭載 フロアオートマ 映画出演車! 子供の頃、そのデザインにウットリした車種がある。 117クーペ と 初代ルーチェ。 117クーペは、後のスペシャリティカーだが、ルーチェは、 小型ファミリークラスとして、昭和41年に登場している。 元々トラックメーカーのマツダは、販売網の未熟さからして、 ライバル車の後塵を拝してしまうのだが、 当時のファミリーカーの凡然としたデザインとは全く異質の車・・・ それが初代ルーチェだったと思う。 その後RX87なる ロータリークーペが登場。 現車を見ると、 大きなリアサイドガラス。 (普通の2ドアは申し訳程度に なっていたもの) パワーウィンドゥのスイッチ・・・ 子供ながら痺れたものだ。 ただ・・ヨコから見ると、 117とルーチェクーペの違いが 当時は混沌として見えた。 「似てるよね」 それもそのはず、、 デザイナーは、あのジウジアーロ。 当時のマツダは、 今思えば粋なメーカーだった。 コスモスポーツ・ファミリアロータリー・ルーチェ・カペラ・ そして RX3サバンナ。 イレギュラーとして、 ロードペーサーまでもが、 マツダの「他メーカーとは違うぞ!」 意識の表れだったに違い無い。 そんな粋なルーチェが どう転んだか、、 クラウンやセドリック・グロリアと 同じ土俵に上がりたがった。 「ベンツマスク」、、クラウンにも そう呼称される型もあるが・・ それは赤の他人が勝手に デザインを揶揄したに過ぎない。 でも、、 マツダは自分で・・・ 「日本のベンツ」 いや その前に・・・ 現車のLA43S型で、 付けられたニックネームではないか! あぁ〜ぁ 自分で言っちゃった(笑)。 さて、、現車を見てみよう。そのベンツマスクと言われた、今となっては残存少ない「LA43S」型。ルーチェ・レガートの「レガート」が取れて、その後期型と言ったら良いのだろうか?教習所などでも使用していたと言えば、憶えているかたも多いだろう。過走行だが、13Bロータリーは健在。独特の加速感とエンジン音が、ロータリーと認識。映画出演のために装備された、後付のサンルーフが、何とも素敵だ。(映画とは、昨年公開された「逃亡くそたわけ」) 昭和55年と言えば、日産ならセド・グロ430。 トヨタはMS110が発売になったばかりか。 いずれにしても、角ばった直線基調のデザインが、 ネオクラシック独特の雰囲気を醸し出している。 平成の世になり、マツダは 「ユーノス」ブランドを立ち上げ、同一車種の併売を行い。 ルーチェは「マツダ・センティア」に、 そして「ユーノスMS9」となるが・・・ 平成12年、21世紀を待たずして、そのセンティアも絶版となる。 昭和41年の登場以来、34年間・・ 時代の流れに翻弄され続けた車「ルーチェ」。 しかし今となっては、 そのネーミングも懐かしく思えてくる。
価格 : 600,000 (税込)
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■メーカー名日産■車名プレジデント■グレードソブリン■年式昭和52年式■走行距離79700 キロ■車検有効期限 ■ボディタイプ4ドアセダン■色純正クリーム■修復歴なし■整備記録簿 ■所有者履歴 ■ミッションコラム3速■排気量4410cc ガソリン■乗車定員5人■型式H252■装備エアコン パワステ パワーウィンドゥ■昭和52年の出来事◎日本赤軍、日航機ハイジャック◎失神が流行◎青酸コーラ事件◎マイルドセブン◎王選手756号世界記録◎「ロッキー」◎「幸せの黄色いハンカチ」◎「岸辺のアルバム」◎沢田研二「勝手にしやがれ」◎石川さゆり「津軽海峡冬景色」◎千昌夫「北国の春」◎イーグルス「ホテルカリフォルニア」 ◎アバ「ダンシングクイーン」 ◎「スター・ウォーズ」第一作 ◎ベイシティローラーズ来日 body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}.red {font-size: 12px;color: #ff0000;font-weight:bold} 日産 プレジデント 4410cc ソブリン コラム3速オートマ とある お客様は、プレジデントの大ファンである。事実、もう5台プレジデントに乗り継いできた。しかも、H252の型だ。途中浮気して、インフィニティやジャガーに乗った時期もあったけれど、「やっぱりプレジがいいんだよ」と、、もう新車では販売していない、H252型を探してくれと言う。「その後の型じゃあダメなんだ」 昭和40年、、セドリック2800の後継として登場した、プレジデント。 排気量や全長など、国内最大のVIPカー。 300万円の本体価格は、今で言うと・・・想像つかないほど高価。 VIPのみに向けて開発されてきた車だけあって、販売台数うんぬん・・・あまり関係なかったようだ。(車名からして、、大統領・社長という意味ですからね)他メーカーでは、トヨタのセンチュリー。三菱のデボネア。マツダ・ロードペーサー。いすず・ステーツマンデビル などが、同系統としてライバル視されていが、、市場はプレジデントとセンチュリーの2台で独占状態。 もぉ「この機構がどうの・・」「スペックがどうの・・」じゃなくて、全体から醸し出す雰囲気だけで、誰でも、国産最高級だと認識する。252型までは、そういう車だった。何と言っても総理大臣が乗った車なんだから。初代150型と250型系は、マイナーチェンジのようだが、一部共通するスペックを残し、まるっきり別物になった。 そデザイン設計時代が昭和30〜40年代のクラシカルなまま、 平成2年まで生産されたとは、 三菱・デボネアもビックリの超ロングランである。 さて、、現車を見てみよう。H252型の希少な丸目タイプ。ボディカラーが、これまた希少な純正色。プレジデントと言えば「黒」か「銀」なのだが、、この色は当店でも初めて扱う。オーナーカーっぽい感じで、貴賓があって・・なかなか良い色合いです。ホイールキャップも同色というのは、あの頃の流行。もちろんフル装備。修復歴なし。車検を取得すれば、すぐに走り出せる。 先のお客様曰く、、 「プレジデントに乗ってると後続車が近寄ってこないのだよ」 ははぁ ここらへんが優越感か、、 尊厳欲求を満たすのか、、 後続車が気を使う国産車も、今はほとんど無いだろう。43年経過して、 フルモデルチェンジが、たった2回という プレジデント。 21世紀に入ってから、 国外にも輸出することになったが、 それまでは、国内販売のみ。 プレジと言えば、、この型! と思っているのは、 先のお客様や私だけじゃないはずだ。
価格 : 400,000 (税込)
ショップ : 旧車、絶版車の朝日自動車販売

■メーカー名トヨタ■車名クラウン■グレード2800ロイヤルサルーン■年式昭和55年式 前期MS112■走行距離103000キロ走行■車検有効期限■ボディタイプ4ドアハードトップ■色純正ブラウン■修復歴なし■整備記録簿55年×3枚、56年×2枚、57年×2枚、58年、59年×2枚、60年×2枚、61年、62年×2枚、63年×2枚、2年、3年、4年、5年×2枚、6年×2枚、7年×2枚、8年、10年、11年、12年、13年、15年、16年、17年、18年。■所有者履歴■ミッションフロアオートマ■排気量2800cc ガソリン■乗車定員5人乗名■型式E−MS112■装備フル装備body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}【 本物のVIPカー 】もう薀蓄を書くまでも無いクラウンだ。昭和30年に登場した「RS型」から数えて6代目。昭和50年前後の世界的な排気ガス規制が収まってきた昭和54年に登場。排気量は拡大の一途を示し、先代の2600から5M型、2800ccに変更される。後期型からは、ソアラにも搭載された5M−Gツインカムエンジンを奢る。現車は前期のMS112型。ツインカムでも、ターボでもない、OHCエンジンだが、その余裕は、さすがクラウンだ。 現車は、35枚にも及ぶ記録簿が保管された2オーナー車。いかに大切にされてきたか、伺えよう。少し前までなら、110系も数は残っていたのだが・・最近はあまり見かけなくなった。特に3ナンバーについては、セダンもハードトップも然りである。 足回りはソフトなセッティングだが、年式の割りに、しっかりしていて乗り心地も良い。走りも28年前の車とは思えない程、しっかりしている。 当時のキャッチコピーは、「美しい日本の新しいクラウン」。どことなく今の政府が掲げるスローガンのようだが(笑)、、それを成し遂げていること自体、さすがトヨタの屋台骨を支えるクラウンである。まだバブルを迎える前の、本物のVIPカーだった。
価格 : 480,000 (税込)
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■メーカー名スバル 富士重工■車名スバル360■グレードスーパーデラックス■年式昭和43年式■走行距離10500キロ記録なしのため 走行不明■車検有効期限21年12月■ボディタイプ軽自動車■色ホワイト→グリーンツートン替■修復歴なし■整備記録簿 ■所有者履歴前オーナー12年間所有。 その間わずか1300キロ走行。■ミッションフロア3速■排気量360cc ガソリン■乗車定員4人■型式K111■装備 ■昭和43年の出来事 ◎エンタープライズ佐世保入港反対デモ ◎金嬉老事件 ◎霞ヶ関ビル完成 ◎イタイイタイ病 ◎十勝沖地震 ◎日大全共闘結成 ◎タレント議員全員当選 ◎日本初の心臓移植手術 ◎川端康成ノーベル文学賞 ◎三億円強奪事件 ◎元横綱双葉山没 ◎全国116の大学で学園紛争 ◎ミニスカート ◎タートルネック ◎帰ってきたヨッパライ ◎天使の誘惑 ◎どくとるマンボウ ◎竜馬がゆく ◎黒部の太陽 ◎緋牡丹博徒 body,td,th {font-size: 12px;}.g12 {font-size: 12px;color: #7D7D7D;}.red {font-size: 12px;color: #ff0000;font-weight:bold} スバル スバル360 中期小判テール フロア3速 昭和29年4月 東京は日比谷公園において、第一回【全日本自動車ショー】が開催。 現在のモーターショーの前身である。 戦後10年が経とうしていた・・・ しかし自動車は、庶民にとって夢のまた夢。 政府は「国民車育成要綱案」を発表。 がんばれば手が届く価格の車、大人が4人乗れて走れること、そして小排気量。 まぁ内容は大まかに言って、こんな具合だったが。 この発表にプラスし、 昭和29年には「道路交通法」の改正で、「軽自動車」のカテゴリーが確立。 雨後の筍のように大小メーカーが乱立。 続々と軽自動車を発表。 今となっては幻の車達も、その頃の産物である。 その中にあって富士重工は、 卵型の可愛い軽自動車を、 昭和32年に 発表し 瞬く間に大ヒット。 そのフロントマスクの意匠から、 「デメキン」の愛称がある。 その後商用としての「カスタム」。 フルオープンの 商用「コマーシャル」。 ソレックスツイン搭載の スポーツバージョン、 「ヤングSS」など バリエーションを派生。 昭和44年に「R−2」に バトンタッチするまでに、 約50万台のベストセラーとなった。 現代でも通用する、その容姿。 多くのファンの心を放さない風合。 もちろん現行の軽自動車には、 性能面でかなわないけれど、 それを差し引いても、 余りある魅力を、 スバル360は持っている。 そうでなければ、 絶版になってから、40年が経過 しようとしているのにもかかわらず、 多くのスバルファンが、 今持って大切に 維持し続けているのだから。 さて、、現車を見てみよう。けしてオリジナルではないが、綺麗に仕上げられたK111中期型。小判テール。手作りのシートカバーと、誇らしげにダッシュを飾る写真が、前オーナーさんの愛情を感じる。前オーナーさんは、12年前に所有して以来、たったの1300キロしか走行していない。それでも、毎週末には、近所を走らせた。もちろん、スバル360を寝かせないため。機関の調子を見るためである。以前はご子息も同型車のオーナーで、親子2世代でK111を所有したそうだ。 親子で旧車を維持なんて、、 夢みたいで、微笑ましい話しではないか。 旧車屋@親父も、そうなりたいものだ。 だけど、セガレが車を乗り始める頃、 S30に乗るには・・・少々しんどいかも知れない。 ちなみに「スバル」のマークは、 「六連星」つまり「プレアデス星団」を 模っている。 旧中島飛行機の関連会社6社を イメージしたもの。 「枕草子」に出てくる言葉、、 統一する・まとまるを意味する 「すまる」から来ている社名「スバル」。 平安時代からの出典というところが、 なんとも国産メーカーらしくて、 良いではないか!